だいぶ前に観た映画作品でも、コンテンツの流れや雰囲気、クライマックスシーン、主役の男優女優などが即座に脳裏に蘇る作品がある。
それは名作たる所以ですね。
夏日のような春の休日、録画データの整理を余儀なくされ、消去前に「ひまわり」を再鑑賞した。
現実世界に今やマルチェロ・マストロヤンニもソフィア・ローレンも存在していない。
しかしこの映像の世界のなかには鮮やかに生き生きと存在している。
名優です、名演技です。
時に淡々と時に面白くエピソードが描かれながら、恋人同士の幸せな時間は徐々に大きな歴史の力に引き裂かれていく。
人と出会い、愛にめぐり合っても、愛を育て、幸せを築くことが困難な時代状況。
悲恋の展開は、観る者の心にグングン刺さってくる。
クライマックスシーン、ソ連の田舎町のプラットホームに降り立ったマストロヤンニと視線を交わすや、動き出した列車に飛び乗るソフィア・ローレン。
すぐにデッキそばの座席に崩れ落ちながら発した彼女の悲鳴にはドキッとする。
今回、作品の魅力を深く感じられたような気がするのは、自分が少し人間的に成長したせいかもしれないが、語学力の変化もあるかもしれない。
閑話休題。
作品の秀逸さ、俳優のすばらしさは定番作品のそれとして万人が認めるところだが、2023年の現在に生きる者として見逃しえない事実は、この映画のロケ地がウクライナであること。
半世紀の後に撮影地ウクライナとロシアとの間に再び戦火が起ころうとは、ヴィットリオ・デ・シーカ監督も想像しなかっただろう。
今夏ひまわりが咲くころまでに戦争を終結させるスーパーパワーの出現はないものだろうか?
nadebutsu in Chichibu