エリザベス女王が旅立たれたのはスコットランドのバルモラル城。
逝去から葬儀までの約10日間にわたる「ロンドン橋作戦」の初動のニュース映像は、英国民にとって女王がいかに身近で偉大な存在であったかを示して余りあるものであった。
文字通り国を挙げての一大イベントだ。
テレビ画面は、機上のカメラがとらえた延々と広がる緑の田園を映し続けていた。
日本語のニュアンスでは「田畑」というよりも「田園」というにふさわしい、美しく豊かなものだ。
在位70年96歳。
アジアに住む私でもイギリス本国の報道を知りたくなりSky Newsを見た。
彼女にしかあのようには生きられなかった見事な人生。
その永逝の悲しみの中、イギリスの人々はどのように悼み喪に服するのかに注目した。
当然ながら、英国の報道と日本のそれには、ニュース量の多寡、視点、雰囲気などなど、かなりの違いがあった。
あくまでも私が目にした限られた範囲内での感想で、語弊を恐れずに吐露してしまうと、日本の報道は総じて大雑把な「翻訳」報道であったように映った。
ただ、ある日本のニュースでの現地運転手の台詞、「王室に興味はないけど、彼女は別だ。あんな風に生きられる女はいないんじゃないか。」と云う言葉は心に残る。
「家族の1人を失ったように悲しい。」と嘆く市民の言葉にもうなずいた。
エリザベス女王のスピーチは素晴らしいものだ。
身につける装いにも何らかの思いを込め、立ち姿は美しい。
実のある内容で、上品に淡々と堂々と、時にユーモアを交える。
なんといっても常人のスピーチと並はずれて違うのは、重要な場面でのいくつかのスピーチが、当代の難しい問題や緊張関係を良い方向へ動かし、落ち着かせたと言う事実である。
議論はあるが、IRAの元司令官との歴史的握手。
南アフリカのネルソン・マンデラとの友情。
上記いずれのケースでも肝心の晩餐会でのスピーチは見事だった。
個人的感懐ではあるが、ガーナ共和国独立後の同国訪問時のエピソードには今も感心している。
「神は細部に宿る」というが、私は「神は最後に存す」と言うのもあるのではないかと考えている。
テレビの特集番組によると、エリザベス女王はガーナ訪問の最終日、3000人を招待してダンスパーティーを主催した。
そしてエンクルマ大統領とダンスを舞ってみせた。
大統領とペアを組んで踊っているときの女王のはち切れんばかりの笑顔はフィルムでは一瞬だが、今でも視た者の心に永遠の輝きを放つ。
1961年11月のパーティー翌日、The Times紙は一面トップでそれを記事にしている。
“the world’s greatest Social Monarch in history”
WELCOMING CROWD AND FAREWELL BALL
(和文への翻訳は割愛)
余談になるが、テレビ録画でこのシーンを見た時、ある映画のワンシーンがフラッシュバックした。
「ローマの休日」のダンスシーン。
もしかしたらウィリアム・ワイラー監督は、エリザベス女王のこのパーティーを下敷きにして映画を作ったのではないかと思ったが、それは年時的にありえない。
逆にエリザベス女王が「ローマの休日」のパーティーシーンにインスパイアされて開催したのかもしれない、などと想像している。
世界は大事な人を失ってしまった。
The flight has to be destined for peace