「東京物語」

Steveのつぶやき

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「東京物語」

山田洋次監督が「東京家族」を作ってくれなければ、「東京物語」をきっちり観てみようという気にはならなかった。山田監督が小津安二郎監督へのオマージュとして、「まねて」制作したという、その原作映画。底本。 
昨年英国映画協会発行のSight&Sound誌が発表した「映画監督が選ぶベスト映画」の1位に選出された「東京物語」。 
門外漢ながら、映画界での小津監督の偉大さも、「東京物語」が秀作であることも話には聞いていた。そういった評判から、ずっと以前TV放送時に2回ほど観ようした。だが自分が若く未熟者であったせいか、始まって10分も観続けなかった。白黒画面、おとなしい序盤の展開にその時の自分の感性が折り合わなかった。 
私も大人になってきたことで、やっとじっくり向き合う気になり、観るチャンスを探っていた。そうしたところに山田監督の新作が完成。山田版を観たいなら、原作品をまず観るのが物事の順序ということで、底本の「東京物語」DVD版をネットで入手し、趣味もテンポも合わないであろう家族が全員出払った日の午後、ようやく腰を落ち着けてリモコンのボタンを押した。 
 
すばらしい! 見事な導入場面。自然に、あくまでも自然に、映画は展開していく。けっして焦らず、走らず。淡々と、無理のない速さで。ていねいに、どこまでも丁寧に。 
沁みてくる、染みてくる。うっ。くる。来る。俺の涙腺に、私の内部に。 
ひさしく忘れていた感覚を静かに、ひっそりと刺激してくる。ああ、そうだ。そうだったよね。みんなこういう感覚で、まじめにまともに社会を人生を時代を生きていた。日本は、日本人はそうだった。限られた人生の時間を、こんなにも慎み深く、自分の望みを抱き、欲を見つめ生きていた。相手をどこか尊重しながら、間合いを測りながら生きていた。 
本編の真価は海外にも伝わったのだ。人間なら誰しも抱え持つ、身近にしてままならない家族との暖かい、しかし時とともに変質していく関係の普遍性。 
個人的には過ぎた日の後悔に襲われた。親に対してあの日あの時ああすればよかったと、いまさら遅い謝罪の叫びが抑えられなかった。合掌。

「東京物語」

青山の善光寺。