寸言は言霊となって

Steveのつぶやき

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寸言は言霊となって

映画のセリフなどでもなぜか

頭の中に居座ってしまう寸言がたまにある。

 

十数年前に観た映画「男たちの大和」。

戦艦大和の出動が迫りくる頃

中村獅童演じる内田守がレイテ戦で重傷を負ってしまい入院している。

反町隆史演じる二等主計兵曹、森脇庄八が病院を見舞う。

病室の窓外には春爛漫の桜が咲き誇っている。

何としても大和に乗り込んで突撃しようと逸(はや)る獅童。

ベッドサイドに立ち、窓際から華やかな桜を眺めながら反町がなだめるように言う。

「散る桜 残る桜も散る桜」

 

なぜこの台詞が心にびびっと響いてしまうのか。

特に桜の季節になると言霊のように反町のこのシーンのこの台詞がありありと蘇る。

 

過日たまたま見ていた「ボクらの時代」で意外なことを知った。

反町は意外にも30代で苦労したという。

目的が定まらず中途半端な感じだったらしい。

もがいていたと云う。

その時期、上記の映画で救われたと語る。

「自分の役者としての過ごし方やモチベーションが定まった」

ようだ。

 

弥生桜のあのシーンが反町にとって役者としての進路が定まる演技だったらしいことを聞き、
一気に親近感が湧いた。

 

「散る桜 残る桜も散る桜」をGoogle翻訳にかけたら、

‘Falling cherry blossoms Falling cherry blossoms’

と出ました。どうぞご評価を。

A tiger of the Chogosonshiji Temple