先週遠戚の憂い事で北茨城へ。式の開始まで大幅に時間が空いてしまったので、北茨城は石井竜也の出身地だったことを思い出しながら、復元された岡倉天心記念六角堂に立ち寄った。快晴の午前、国道を右折し整備された並木道を現場までの降り口を見逃さないようゆっくりと車を走らす。
目の前の海が大きな湖のように海面ぎりぎりに、それは太平洋を庭としてひそやかに建っていた。
岡倉については明治時代の美術史家であることと、「アジアはひとつなり」という思想の人ということしか知らなかった。意識の底辺で、美術の人物であることとその東洋思想とがすっきり結びつかない感じがあった。しかし記念館に立ち寄って年表のある一行が目に入ったとき、その引っ掛かりは氷塊していった。経歴の最初明治6年(10歳)東京外国語学校に入学している。自宅に戻って更に調べてみると、なんとその4年前にJames Hamilton Ballahの塾に入っているではないか。勉学初期に彼がしっかりとした英語力を習得したことは明らかだ。
西洋へ西洋へとなびいていた明治期に「東洋なのだ」という立ち位置を彼は宣言する。「アジアはひとつなり」という岡倉の考えは、1904年上梓の“The Ideals of the East: With Special Reference to the Art of Japan “という英語で書かれた本で披露された。
時代を経て西欧諸国の経済が厳しさを増し、世界経済の流れがアジア新興国の勢いに向かっている現況を、岡倉は果たしてどう見るか?
この海を眺めて育ったであろう石井竜也(カールスモーキー石井)は、米米クラブ最大のヒット曲の2番で歌っている。
「裏切りの鏡に映しだされた 笑顔につられて流された日々 儚いものへの憧れだけで すぐ目の前にあることを忘れてた なぜもっと素直になれなかったのだろう 君にまで Wow Wow True Heart」(君がいるだけで:歌詞米米クラブ)
西洋ばかりを向いて、自分たちのアジアを忘れてはいないかと、聞こえてくるのは入れ込み過ぎだろうか? もちろんこの歌詞にその意図がないことは自明の理。牽強付会を謝す。
眼前の海は、この日凪いでいて水平線のかなたまで輝いていた。
六角堂